2008年10月05日

2008文化塾/不易流行PARTⅡ

10月4日(土) 名鉄トヨタホテルで、
「文化を育む気概を金沢商人から学ぶ」をテーマに、
講演会・パネルディスカッションを行いました。

第一部は、金沢で著名な地元情報誌『金澤』などを
発行している出版・広告代理店 株式会社金沢倶楽部
代表取締役社長 山田元一氏にご講演いただきました。

●豊田文化フォーラム会長あいさつ




●第一部 山田氏講演




以下、山田氏のお話から---------------------------------------------------------

金沢は、文化的アイデンティティがあるので、
前田利家以前は蓋をするような傾向がある。
利家から3代をかけて文化を築いた。
お茶、抹茶、お花、和菓子、掛け軸、陶器、金箔、
お仏壇・・・これらがすべて伝統工芸、伝統産業として息づいている。

加賀100万石の文化は、利家から3代をかけて築いてきた文化が源。
さらに源流をたどると、愛知三河、そこに京都のエッセンスを加えている。
これを金沢の人は肯定している。
肯定していることが吸引力、磁石になっている。

外国人、ことに欧米の人に、「日本のどこから来たんですか?
それはどんな町ですか?」と聞かれたことがあった。
そのとき私がとっさに考え答えたのは・・・
「Last city of samurai!」(さむらいの文化が残る最後のまち)。
町民、庶民の文化は、日本各地に残っているが、
金沢に残っているのは、すべて武家文化に発祥している。
庶民が、武家 前田家の文化に憧れ、手習いをする形で継承し、
今の文化が築かれていった。
江戸の文化は、庶民の文化に武家の人たちが憧れてできたものと
私は考えている。金沢は逆。

ある和菓子屋さんが、「昔城への出入りを許された和菓子屋なんだ」と
誇りを語っていた。
そういうことが価格に影響するのも金沢の特徴。
100年たたないと、社会的に認めてもらえないような、
また、そうでなければ社屋を持っていればOKという風潮がある。
だから、認めてもらえないという初期段階を乗り越えていく新興勢力がいて、
それがまた金沢のいいところ。

伝統工芸社会の中に派閥がある。
昔から存在している店、会社の人々が、集まりがあると初対面、
なんてことがある。
これではいけないという危機感もある。
金沢お文化資産を食い潰すことになっていくから。
小さな、昔からのつながりがしがらみになって足を引っ張り合うこともある。
おやじを知ってるとか知らないとか・・・。
しかし、最近は、家業を客観的に見ている経営者が現れている。
つながりをしがらみにせず、前向きに活かす方向へ動き出している。

武家の文化を使って、金沢は石川の中心だ、という意識を植え付けた。
石川県民は、みーんな金沢の方を向いている。
一方、福井県民には、中心的存在がない。
それぞれが「自分とこ」「この辺」的な意識。
若狭は若狭で福井県という意識が薄かったリする。
富山県民は、世界地図を貼り、福井県民は日本地図を貼り、
石川県民は金沢の地図を貼る、といわれている。

金沢は、ウェルカムマインドが大きい。
ゴルフ場が20もあったり、スキー場や温泉もたくさんある。
観光スポットとして発達している。
来てもらったら、1週間くらい飽きさせないよ~という雰囲気。
しかし、打って出る、ということがない。
外から来ることしか考えていない。
金沢からどこへ出るの? 東京へ何を持っていくの? 
ということを考えていない。
例えば福岡は、福岡から出ることを考えたことによって、
「来る」という現象を創り出している。
韓国へ旅行へ行くブームを創り、逆にそれによって、
温泉のまち‘別府’を打ち出した。



日本には、世界的企業が数えるほどしかない。
国内需要だけで経営している中小企業だけでは日本という国が厳しくなる。
海外でつくったものを海外で売り、そこで得た利益を日本に持ち帰り
事業をするという発想がほしいところだと思う。
トヨタ自動車が世界的企業であることが、豊田市にとって
どれほどのポテンシャルかと考えると、
豊田の将来ほんとにスゴいと思う。

金沢21世紀美術館が話題を呼んでいるが、
それをつくったのは、世界に通用するものを、という主旨。
金沢の感覚・センスを世界に打って出るため。
だから金沢の伝統工芸は、美術館の中にはない。

日本は、観光にしても海外へ出て行く発想が多い。
Welcome Japan が少ない。
その中にあって金沢は、富士山、白川郷の次に欧米人が周ってくる観光都市。
ホテルは、たとえばフランス人の富裕層などが来ると、
従業員がピシッとして、社員教育上とてもいい。
観光都市金沢を支えているのは、
「金沢が好きだ」「金沢に誇りを持っている」という思想に発している。
何かを打って出る、ものを売るときなど、「これは金沢って言っていいのか?」
と考え出すのが金沢の人々。
みんな、まちを背負っているという意識がある。

確かにトヨタ自動車の人たちはそういう意識があると思う。
では、豊田市のみなさんはどうか?
トヨタ自動車のものづくりの精神を受け継いでいるかどうかなど、
検討しているだろうか?
金沢は、入れるも出すも、金沢にとってどうだろう?
ということを真剣に検討するまち。
日本全体でいうとあまりそういう発想はないと思う。
豊田は無計画、無意識、何も考えがないように感じる。
金沢から学ぶのはいいけれど、そのままではいけなくて、
豊田としてどう、ということを、もうそろそろ考えなくてはいけないと思う。

うちの会社に、豊田市にお嫁に行く従業員がいる。
「社長、豊田文化フォーラムで何するんですか?」と聞いてきた。
「豊田をすてきなまちにするために、金沢を参考にした話をしてくるんだ」
と答えた。
「ぜひ、すてきなまちにしてほしいです!」と言っていた。
すてきなまちになってほしいと願う人がいるということを、
みなさん知っていてほしいと思う。

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●第二部  パネルディスカッション

地元豊田の商業・文化に詳しい知識人を
コーディネーター、パネラーとして招き、
今後の豊田について、意見交換していただきました。



パネラーのみなさんから、次のような意見がありました。

・外の人に「ああ、トヨタ自動車の豊田ですね」と言われるまち。
それ以上説明がいらないことが、逆に、
文化を考えなくてもよい土壌になっていないか?

・豊田の商店街の人たちは、活性化すること、
よく売れることを考えないのかな? という疑問は常にある。



・豊田の人口は、今後、すごく減る予測がある。
消費の流出、つまり、名古屋や岡崎へ。
よそへの流出を防げば売上は上がるのだが、
三河人の質素倹約、がまんの農文化がネックになっている。
どこのまちも同じになりつつあり、
パーソナリティーやアイデンティティが必要。

・住まいは豊田にあって、東京で仕事している。
豊田出身の人が、外で活躍しているのを見てきた。
今、みんな豊田に戻りたくても、どう戻っていいのかわからない現状がある。
インターナショナルを求め、無計画にポンと出てしまうのではなく、
まず地元に根を張ってから出ることも大切だと思う。



------------------これらの意見に対し、山田氏の意見は次のようなものでした。

文化というものは衝突や軋轢から生まれる。
金沢は、昔、徳川政府の中で、どうしよう、という前田家の軋轢があった。
異端に対する対抗心、負けてなるものかという強さ、
それが金沢の文化を育てた。
豊田には、こういうことがない。
これが豊田だ、という主張や軋轢がない。
豊田もんとは何なんだということが、出てくるといいと思う。

豊田は、精神的に、財政的に、トヨタの庇護下にあると思う。
トヨタ自動車がパトロンのようだ。
それが競争がおきにくい地域性の原因だと思う。
これが‘豊田のものさし’というものがない。
今ないからこそ、これから創ることができる。
すごい可能性を秘めたまちだ。
「これが豊田だー!」と競争し合い、市民が意見を言い合うと、
すばらしいものができていくと思う。
金沢は、「これが金沢だー!」というものができあがっているが、
豊田は、これからコンペティション・競争ができるまち。
これから名をあげていく人を応援することができるまちだからおもしろい!

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●受付の様子