2009年03月15日

2008春の文化塾/美術館から街へ開くアート:座談会

3月15日 豊田市美術館で行われた春の文化塾の続編。
座談会「美術館から街へ開くアート」 レポートです。

講師4人を迎え、とても興味深い、また、街の将来が楽しみになるような
お話をしていただきました。
市民として、美術館から街へ開くものに対する参画意識が生まれ育っていくような
貴重な時間を、ご参加のみなさんとともに過ごしました。

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講師/秋元 雄史氏(金沢21世紀美術館館長)
     寺 光彦氏(豊田市美術館館長)
     藤 浩志氏(アーティスト)
     西尾 貞臣氏(建築家)

コーディネーター/高橋 綾子(名古屋芸術大学准教授)


場所/豊田市美術館 講堂
時間/14:30~

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※以下、敬称略




秋元さんのお話の中で、豊田の美術館を大変褒めていただいて恐縮。
この美術館の当事者なので、もう少し認識は冷静にしているつもり。
かといって、市民のみなさんに関しては、胸を張って、誇りにしていただける
美術館にしていきたいし、現状は過程にあると思っている。
決して満足しているわけではないし、
これまでやってきたことの経過はきちんととらえて、
次につないでいく、ちょうどそういう時期にきている。
つい最近まで、美術館ができる前まで、金沢で商いをしていた。
私にとって、金沢は、思い出深い場所。
当時の場所が目に焼きついている。
毎日学校に通う、その道のそばで、もともとあった付属の小学校、
県立女学校が共同してあのスペースに入っていた。
住宅・店舗・ビルなどの一角だった。
そんなところに、今、21世紀美術館があるわけで、
どうやって現れたのかと思うけれど、
それを感じさせない往来のしやすさがある。
真ん中・円形の中心に美術館がある。
円形は、どこが入り口でどこが出口かわからない。
そういう意味で、どこからでも入れる。
何か下の方から、子どもたちがわいわい騒ぐ声が聞こえてくる・・・
そういう風景を思い出しながら、道路をみている。
抵抗感がない。
美術館のビジュアルも、考え方の哲学も、開かれていることも、
そして、現代美術館ではあっても親近感があって、交流ができることも、
21世紀美術館の特徴であり、コンセプトがそのまま実現されている。

金沢では、プラットフォームというものを企画され、いろんなことを全国に発信。
美術館と街が一体化。
そういうことを考えると、豊田はまだまだ宿題・課題が多い。

豊田は開館14年。
基本的な美術館の骨格、構想の段階から、その一員になった。
携わって約20年。
その中で、街の状況もすごく変わってきている。
88年に、市民アンケートで、行政に対する意見を収集した。
美術館というものに対し、美術館があった方がいいという人は、約20%。
それは、豊田には若い人がたくさんいて、
これから元気をもらっていく街だからということが言える。
それにしては、文化的な香りが少ない。
文化という分野の中でも、刺激的な、若者が考えているような満足感がない。
それから30年あまり。もう若い街ではなくなっている。
その当時の若者は、かなりのキャリアを積んで、今、この街をつくっている。
社会的・文化的な社会の成熟度が試される、そういう時代に入っている。
そこで、美術館が問題となる。

美術館というのは、不特定多数の方々を対象に多様の事業を展開して、
美術館らしい内容を提供することが役割。
本来的には、少なくとも、その時代だけではなく、
この時代がどうつながってきたのかを知る必要がある。
それを知るためには前の時代も知り、
今後どうつながっていくのかを考える場としての役割がある。
美術の思想的グループとか、事柄とか、
美術の表現世界の中では、非常に変化をとげて今日に至っている。
それをどう見せるのか、狙いをつけて観ていただくのか、試されるところ。
豊田市美術館は、若い人たちの要望があったというだけでなく、今を生きる美術館。
現代の作家の作品も当然とり上げていくことになる。
寺や博物館にある資料があり、そこに人がいる。
個々に過去の人、今生きている人をどう見せるか、それが美術館で、
それを見せるのは、勇気がいること。
堀内さんと斉藤さんは、戦後の早い時代から、
抽象的な世界の中で、独自の世界をつくってきた。
ふたりの展覧会を、国立の近代美術館で開催。
非常に話題を呼んだ。
そして今日の展覧会では、製造者が主体の展覧会となった。
豊田ではなかなかできないだろう、といわれていた。
私たちが例えばゴッホがみたい、印象派がみたい、
そういう希望がかなえられるようになった。
個展的ワンマンショーは、収入の得られる状況が整わないと、できない。

ピカソやマチスの作品は、60億円はする。
1点の作品でもそれだけする。
最低でも20点はほしいし、本当はもっとほしい。
40点、50点集めてつくろうとすると、準備をしないといけない。
採算を考えないといけない。
それだけのものを出しても、収入として入ってくる計算が成り立たないと、できない。
ペイできないことが多い。持ち出しが多い。
そういう展覧会をどうしても観たいという要望があれば、
大きな都市で、宣伝広告をしっかりやった方がいい。
そういうことを、美術館は、いくらやりたくてもできなかった。

豊田市美術館は、よくわからないことをやっているといわれることが多いが、
わからないものにいかに近づいてもらえるかが大事だと思っている。
せっかくの税金を、美術への親近感をもってもらうために、
今日のようなイベントがある。
私たちスタッフの願望がある。
市民と共有している財産を展示するのが美術館。


秋元

ひとくちに美術館と言っても、いろんな観点がある。
市民参画型の、アートをつかった交流館的な発想は、代4期的な発想と言われている。
第1期は、放置しておけばなくなってしまうものを、保存する役割。
日本の文化として残していくこと。
第2期は、鑑賞していただく機会をつくること。
第3期は、何を伝えているのかわからないときに、教育普及、価値づけ。
第4期は、価値付けも、市民と一緒に考えましょう、というもの。
生まれた時期、設立した時期によって、目指していたありようが違う。

豊田市美術館というのは、現代アートの重要なところを保存されている。
世界に向かっていける美術館は、地方になかった。いや、都市部にもなかった。
そんな中で、豊田市美術館は、
圧倒的にすばらしいコレクションを目指したことが感じられる。



自分は、美術と街、もしくは地域とアートというものに関するフェチ。
20数年くらい前、京都で活動をはじめ、紆余曲折ありながら今にきた。
60年代生まれなので、80年代、90年代の流れに飲み込まれないように活動してきた。

ワークショップの報告。
変化していっているのがあたりまえ。
33年1世代説を、自分でとなえている。
街も、33年くらい。
豊田の風景もずいぶん変わったという話をきく。
時代の変化、33年前以上の話。
価値観が変化していく中で、誰かが街を「いい」という価値観でつくっている。
その価値観の総体が街。
いろんな方々が、それぞれの時代の中で、新しい価値観をたちあげようとしてきた。
それを、表現していった。
絵を描く人、文章を書く人、起業する人、いろんな人が行動を起こす。
33年たつと、まったく価値観が変わる。
デジタル世界をみると、ユーチューブでどんどん創作している人がいるのに、
街をみてもわからない。
それだけ、あり方が変わっている。
装置、研究者、研究機関がいると思う。
そういう意味で美術館は必要だし、展示室を持たずに、
もっと展示する場所としてふさわしい場所に、と願っている。
学校の中に展示室、病院の中に展示室・・・
それを位置づけ、論理付けるのが、美術館の役割。
次の時代に伝えていくのも美術館の役割。
駅前にも必要だけど、森の中にも必要なのが美術館。
残すかどうかは、次の世代の人たちが決めること。

自分は、ブログをかなり書いていて、動画もアップしている。
そうすると、データ容量が大変なことになる。
美術館には是非、サーバーを持ってほしい。
それによって、どんどんコレクションできるようになる。

時代が変化していく中で、大きな違和感があり、
多くの人たちが思っているある勘違いがある。
美術作品、完成作品が飾られているのが美術館、と思っていること。
完成されたものを観るというのも大切だが、創る過程が大切。
想像力と表現力を身に付けることがいかに大変か。
自分でサバイバルしていかないといけない時代。
表現力を身に付けるには、創るってことが大事。
例えばプラモデル。
創るときの期待感がいい。
創ることにはまっていく。
できてしまうと「こんなもんなの?」で、次の段階へいく。
創るという時間の豊かさがある。
さわっていく、いじっていく、創っていく、その時間が大切。

ワークショップで玉山君というすごい可能性のある人が、何か作る。
無農薬野菜が道路に生えている、なんていうフィールドを創ったらおもしろいし、
街中が健康になっていく。
お米をつくるというのもいいと思う。
パチンコのような移動型のマシーンがあって、
個人の記憶がどんどん出てくる仕組みがつくれないか。
歴史を語りながら、街をまわっていく。コミュニティーカフェがあったり。
マナーマンが電車の中の環境をつくっていく。
重い槍を持った人が思いやりを語って伝えていく。
そういう自由な発想をワークショップで出し合った。

街は、常に期待感と可能性を求めている。
ここで自己実現ができる、人がつながっていろんなことができる。
新しいチャンネルをつくるということにアートが貢献する。
アーティストがつながる、街の人がつながる、
街におもしろい遺伝子がどんどん繋がっていく。

僕は、アートとは言わない、アーツ。
常識を飛び越える技術だ。


西尾

小牧市生まれ。
小牧市は、造形大学があり、メナード美術館がある。
この2つが、全国的によく知られている。
小牧市の東部在住で、いなかの風景があるところに生まれ育った。
13年東京にいて、30過ぎて、根を生やして暮らしたいと思いながら、帰ってきた。
高蔵寺ニュータウンの隣に、県の開発住宅ができ、
産業廃棄物が投機されている風景があり、さきほど述べた有名な2つがある。
稲刈りが10月半ばに終わり、その田んぼを利用させていただき、キャンパスにし、
周辺の竹を使った作品をつくった。
2005年の愛知万博プレイベントに出品した造形作品。
今年で16年。バンブーインスタレーション。
8つの作品を、大学の先生や芸術家にお願いしてきたが、紆余曲折、
みんなでつくろうとなり、現在に。
11年目から、メナード美術館の館長など学識がある5人の審査員が決める賞があって、
モチベーションを保っている。
15年の区切りを意識してやっていきたい。




仕組みをつくることで風景ができていく。
いろんな人が参加することがいい。
竹を炭にして、空気の浄化をしている、その流れもいい。
地域素材の中で、あふれているし、そこにかかわりをつくっていくことが、
なかなかなくて、いい試み。
賞に関しては、あった方がいい人もいれば、ない方がいい人もいる。
育っていくのがいいと思う。


秋元

教え諭されるといやになるけど、一緒になってやっていくといい。
今の竹の使い方だけでなく、時系列で、竹の使い方を追っていくと、
見えていくものがあるんじゃないか。
1回1回なくなったりするワークショップもある。
そういう人たちのドキュメントが積み重なってくると、厚みが出てくる。


西尾

仕事柄、足助町に行き来があったので、アートが街へ出て行く中で、
私たちがつながっていく。

ソフトに託していくビジョンは?

今の、竹のプロジェクトは、自分もやってみたい。
いろんな美術館含めての活動の実態は、継承できる部分と、
一過性で消えていってしまうはかなさもあり、
スパンの長い、連続性の高められる仕組みが必要。
まったく次元の違うことがらが、あちこちで起こっている。
それを集大成的に、アーカイブ資料に。
蓄積されたものは、あとから付け足すこともできる、という可能性を秘めている。




豊田市美術館というのは、15年近くたって、
街との距離感をできなければと思っているところ。
街の音風景や、機織の音とか・・・。
豊田市美術館という展示空間を、街の中のひとつの呼吸のような、
生きているモチーフとしてつくりあげようと試みている。
映像「都市の光」という企画では、それぞれの都市が
それぞれ持っている魅力を伝える光を募集した。
豊田という街に注目した。
街から取材したものを、美術館でどう表現したかを、もっと街の人たちに伝えたかった。
あるアーティストの、あるカメラマンの目を通したものの展示だとしても、
どこかで感性を共有しているかもしれない。
日常にこまごまと。
何か構築できたらいいなと思っている。

日本とブラジルのユニット100周年。
日本からみたブラジル、ブラジルから見た日本を作り上げたのが、昨年。
保見小学校に協力をいただいて、保見の街と連動して、豊田市美術館の壁面に展示をした。
これを、もっと市民に伝えることが、課題。
ビジョンというような、壮大なテーマではないけれど、これから美術館は、
まだまだ街中との距離感を縮めていくような
プロジェクトを考えていく。
そういう機会に、市民のみなさんに協力いただいて、
市民のみなさんに近い美術館でありたい。


秋元

年中失敗していて、成功のが少ないので、失敗は語りづらいが、
やり終えないといけないので、言いだしっぺだし、失敗してもやり続ける。
誰かが知恵を出してくれる。それが、市民参画型のよさ。
どうしようもなく失敗する、ということがない。
街と人がかかわっていく広場のような美術館。
それをどうやってアーカイブ化するか、もしくはしないか。
評価の決まっている人の展覧会をやって回顧的なものをするのか、
それとも、藤さんの作品ならわからない。
コレクションをしようと思っても、現代美術は大きいので、限界がすぐくる。
また、竹のプロジェクトなどはとてもいいが、現場とのかかわりが美術。
だから、サーバーの話はとてもいいと思った。




表現活動をしていく、それをどう編集していくのか、作品化していくのか、
そういうときギャラリーがあると、ギャラリーのサイズに合わせて作品化できる。
日常の素材、表現していることは作家によってさまざま。
絵を描く、コレクションする、歩く・・・どこの場にもっていくかによって、変わっていく。
その根っこの部分を、コレクションしてほしい。
それを、また作品化できると思う。
美術館のためにアーティストがあるんではない。
いかにできる人たちを、街の中を巻き込んで育てていくか。
そういう仕組みを街中に仕組んでほしい。
爆発は美術館の中ではできないけど、街中でやって、
爆発したあとのものを美術館にもってくる・・・
こういう場合に、美術館は、アートセンターになる。
いろんなつがなりを生むところがおもしろい。


ワークショップ参加者

美術と街、にも興味があって参加。
美術以外のことに興味があって、問題意識を持っていらっしゃることに気づき、
そしてまた、アートがそれにかかわっていけることに気づき、今日来てよかったと思う。
私たちがワークショップで考えたことに関して、思ったことを教えて下さい。




道に、雑草だと思ったら、野菜!なんてクリエイティブでとてもおもしろい。
それから、この会のあとで、美術館のレストランで食事する、というのもおもしろい試み。




情報が氾濫している中で、出会いがどうやってつながっていくのかなというところに関心がある。
一方で、建築の世界は、アナログ。ものごと、多くはアナログ。
人同士もアナログでつながるのが一番。
技術は進歩しても、根っこのところでは、やはりアナログ。


秋元

藤さんのみなさんへのきっかけづくりはおもしろかった。
刺激を受けました。
才能ある人ですね、藤さんは。
まとめ方も含め。




これは、みんなそれぞれ、企画してもらったんですが、わずか3分です。
全然違うふうに発表されたものもありましたが、まとめさせていただきました。
自分が言ったことと違うと感じた方もいると思いますが、
そのズレが大事で、そこからいろいろ生まれ、活動としてつながっていく。
20年後、30年後、違うものになっている。つながっていく。
それがおもしろい。

「いじる」。身体を使う、手を使う。
美術館を、街の人がもっといじっていいんじゃないか。
もっとオープンにしたらいいと思う。逆がまだ多い。
いろんな人が自由にいじって、どんどんいい方向に変わっていく、
そういういい社会であってほしいと思う。  

2009年03月15日

2008春の文化塾/美術館から街へ開くアート:講演会

3月15日 豊田市美術館で行われた春の文化塾。
講演会「街に開く美術館」 レポートです。

世界的にも知られる金沢21世紀美術館の館長が語る
「街に開く美術館」。
美術館というものの捉え方、楽しみ方、
その観点での街づくりというものの可能性など、
聴講のみなさんとともに、新しい発想・視点の発見をしました。


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講師/秋元 雄史氏(金沢21世紀美術館館長)

場所/豊田市美術館 講堂
時間/13:00~

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豊田市美術館に、久しぶりに訪れた。
この美術館は谷口さんの代表作。
よくできているすばらしい建築だと思った。
美術館を維持管理している人たちは大変だと思う。
90年代の国際美術の代表作がこれだけそろっているのは日本でも数少ない。
豊田市の人は、誇りに思ってもいいと思う。
地元におられる方々は、他と比べて、自分たちの持っているものを低く評価しがち。
大変すばらしい美術館なので、ますます発展していってほしい。
こういった豊田文化フォーラムというかたちで、
美術館と市民の方々を結びつける活動をされていることはすばらしい。
活動が発展していって、豊田市の資産をつくっていったらすばらしい。

お題、美術館から街へ開くアート・・・金沢を例にお話を。
美術館と街の人をつなぐプログラムについて。

街の中で、美術館がどういう役割を担っているのか、街の総合力の中で、
美術館を考えていく方向になっているので、
21世紀美術館の土台となっている金沢という街についてお話を。

城下町が今の街になり、伝統芸術、伝統が街の財産。
伝統工芸23 加賀友禅、加賀屋敷など。
芸能4つ 能楽など。
手厚く、街の財産として文化関連施設が守られてきた。
市民芸術村は、市民の創作の場。
24時間いつでもつかえるアトリエ。
そういう施設がさまざまある。これらが金沢市内に38。
金沢は、文化に力を入れてる街。
豊田市みたいに、大きな企業がない街なので、
小さな街の地場産業が寄り集まって街をつくっている。
今の山田市長が力をいれ、伝統文化を金沢の顔になるような施策を進めて、
20年くらいでこのようなかたちに。歴史都市 第1号。
創造都市ネットワーク。
都市規模とか、都市の産業力ではなく、ユネスコの考え方では、
都市の文化力に注目し、文化が新しい街づくりに貢献している街。
例えば、わりと規模が小さいところが多く、
イギリスのエジンバラやアメリカ サンタフェ。
イタリア ジェノバ。それに、金沢は今登録申請。日本では初。
また、文化庁長官から出た文化芸術都市に、金沢は選ばれている。

その中で金沢は何をしているかというと、
38の文化施設が点としてあったが、面として、オール金沢の文化力として
みせていこうという動きがある。
街中の彫刻プロジェクトやオータムプロジェクト・・・
4つの大きなプロジェクトを1つにまとめた。
金沢っていう街そのものを、文化芸術化していく動きがある。

その中で、21世紀美術館は、開館当時の美術館コンセプト・方針が
時代とともに変わってはいき、やる内容が進化していく内容。
1.世界の「現代(いま)とともに生きる美術館
2.まちに活き、市民とつくる、参画交流型の美術館
3.地域の伝統を未来につなげ、世界に開く美術館
4.子どもたちとともに成長する美術館

21世紀美術館は、市民の交流館となるような美術館。
格調高い美術館と、交流館を別につくる話もあったが、
それが1つになっていく経緯があった。
合体したかたちが、21世紀美術館。
建築家が2つを1つにし、そして、水戸から移ってきたメンバー
(市民参画型のアートセンターを初めて作ったのが水戸)が、金沢で実現させた。
開かれた美術館、市民参画型美術館となった。

いろいろプロジェクトをやっていて、教育普及などを行っているが、
普通の美術館とは違うことに、「交流課」というのがあること。
ボランティア活動や友の会、企業会員さんの間をつないでいく活動も行っている。

一般鑑賞プログラム
キッズスタジオプログラム
アートライブラリプログラム
・・・・など。

学校関連事業の中で、2つ大きな流れがある。
美術館に子どもたちに来てもらうだけでなく、美術館が出張することも。
前者をミュージアム・クルーズと呼んでいる。
初年度、小学生全員を対象に行った。3年目から小学校4年生を全員呼ぶようになった。
5,000人いるが、いっせいには呼べないので、春と秋に分かれてきてもらうようになった。
学校単位で。60~70人
ボランティアさんたちが、6~7人の子どもたちを、案内していく。
ボランティアは、半年から1年かけて、時間を割いてもらうという厳しいボランティアだが、
人気があって、登録も70人80人とたくさんいる。
ミュージアム・クルーズは、学校のプログラムに組み込まれている。
どんなふうに観たらいいかを書類にまとめ、事前に先生方が動機付けをする。
作品解説はしていなくて、子どもたちが観て思ったようにシートに書いていく。
先生は、キーワードをたよりにやりとりしていく。
だいたい3時間くらいかけて巡ってもらう。
最初はカチカチになっている子どもたちも、時間がたつにつれ、好奇心の赴くまま、
積極的に観るようになる。
子どもたちの自由意志にまかせて観ていく。
あとは、ボランティアさんがいなくても、子どもたちだけで自由にじっくり観る。
ミュージアムバスでの送迎もある。
学校の先生の様子にもよるが、忘れないうちに感想文を書いてもらったり、
絵にしてもらったりしている。
このプログラムのポイントは、知識を得るということよりも、
ものを創るということに対して敬意を示し、子どもたちが発想すること。
子どもたちがたくさんいるという美術館風景が、21世紀美術館の風景となっている。
大人が嬉しそうに観ている・・・その様子をみて、子どもたちが学んでいたりもする。
鑑賞教育の場というだけでなく、他の大人たちにも影響し、
ボランティアさんの意識の変化も起こす。
そして、われわれ美術館スタッフも多くのことを学ぶ、とても大切なプログラム。

長期プロジェクト。
若者夢チャレンジ---朝顔プロジェクト21----
学生を終えて、まだ社会に出ていない人に向けた、
社会意識を高めていけないかと始めたプロジェクト。
メンタル部分に苦しんでいる人たちも参加できる場。
2年がかりでやったプロジェクト。
美術館の外周350メートル。約2000本の朝顔の苗を植えて育てていく。
観察日記を書く。
参加者が、金沢市内の小中学生から、一般の人たち。
他の土地で育てたものも集めた。
イベントに参加している若者も朝顔プロジェクトに参加し、みんなで作品を育てている感じ。
朝顔を育てつつ、館内では作品ができていく。
美術館の周りにいっぱい朝顔が咲いている絵をもとに、がんばって育てた。
広場に集まった人たちに、朝顔育てませんかと呼びかけていった。
「里親募集」という名称で。
8月には、朝顔でいっぱい。11月頃にはかれてくるが、種を収集。
朝顔育てつつ、作品を。
朝顔の種をイメージ展開して作った船とか。
朝顔の種を拡大すると、それぞれ表情がある・・・それを観察して描いたものを展示。
街の中に広がっていって、他の団体の人たちのビルを覆うようになった。
朝顔のプロジェクトは、街のいたるところで花を咲かせていた。
そんなふうにして続いていった。

私が館長に就任して2年。今年で3年目。
私の方針を事業化していっているが、街の中で展覧会をするというのを実現していった。
それを、アートプラットフォームという。
お城を中心にして19か所で、作品をつくっていく。
そのときの運営上守るべきことは、金沢の街というものを、舞台にすること。
金沢の街が、作品のテーマもしくは主役になっていい。それだけ、金沢を前面に。
金沢の人と関わること。
アーティストが主役というより、場が主役、関わる人が主役。
プラットフォームということばは、
電車が主役、アート作品が主役、ではなく、電車が自由に行き来できる駅、
プラットフォームをつくるということが、これからの課題で、採用した言葉。
開館前に、現代美術を知ってもらうために、街中でワークショップをやっていた。
ハードがあって美術館があるのではない。

出来事をプロデュースして、なにかを起こしていく。
サッカー選手たちのユニフォームの色塗りを子どもたちとやったり、
巨大サッカーボードゲームを組み立てるということをやった。
そのとき、作品の一部に広告協賛を貼った。
企業の協賛で運営費をまかなったりという試みもしている。
美術館の壁にも。
さまざまな人たちを巻き込んで展開したのが、「アートプラットフォーム」。

こうしたことが、美術のすばらしい展開、というのではなく、人が出会い、仕掛けによって、
いろんなかかわりが生まれてくることがすばらしい。
色濃く伝統が残っていて、保守的な社会構造が残っているところでは、
新たな人とのかかわりを生み出すことも、21世紀美術館の役割だと思っている。
新しい風を吹き込むことも、大きな役割。
それまでの固定的社会では会うこともなかった商店の人、子どもたち、商工会の偉い人・・・。
製作側に参加した人たちの数は、20,000人。金沢は45万人都市。
20,000人も支える側に回ったことは、ある成果。
これを1回で終わらせず、3年くらいのスパンで継続していって、
新しい金沢の事業として定着させていきたい。
  

2009年03月15日

2008春の文化塾/美術館から街へ開くアート:ワークショップ

3月15日 豊田市美術館で行われた春の文化塾。
ワークショップ「美術館から街へ開くアート」 レポートです。

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ナビゲート/藤 浩志氏(アーティスト)
場所/豊田市美術館 七州城隅櫓
時間/9:30~11:30

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ナビゲーターに、作家・アーティストの藤氏を迎え、
“ファンタジー”という言葉に惹きつけられた約20人が集まりました。

まず、それぞれ順に自己紹介をしていき、
なぜ、このワークショップにきたのかをそれぞれ発表しました。
地域とアートに興味がある人、美術館に興味がある人、そして、
みな共通しているのが、“ファンタジー”という言葉にひきつけられたということのようでした。

2人ペアになって、美術館またはアートが、街とつながりながらどう展開したらいいか
その人が思うこと、提案したいことを、紙に描いていきました。
絵や文字、記号など、思うままに表現していきました。
それぞれが描いたものを、見せて説明して、各々が出した案について意見交換。
その後に、2人の案をミックスしたものを作り上げ発表していきました。
それに対して、ナビゲーターの藤氏がコメントをしていく、という具合に進んでいきました。
こうしたら実現できるとか、過去にこんなことがあった、など、それぞれの発言を藤氏が補足していました。
そういう話を聴きながら、全国の美術館の、「地域とアート」についての取り組みを、
藤氏のお話から知ることができました。

それぞれに違った問題意識を持っている人が、アートという方法を使って、
「街とつながっていくにはどうしたらいいか」について様々な案を展開し、
お互いに聴くことができ、有意義な時間でした。