2009年03月15日
2008春の文化塾/美術館から街へ開くアート:座談会
3月15日 豊田市美術館で行われた春の文化塾の続編。
座談会「美術館から街へ開くアート」 レポートです。
講師4人を迎え、とても興味深い、また、街の将来が楽しみになるような
お話をしていただきました。
市民として、美術館から街へ開くものに対する参画意識が生まれ育っていくような
貴重な時間を、ご参加のみなさんとともに過ごしました。
---------------------------------------------------------------------------
講師/秋元 雄史氏(金沢21世紀美術館館長)
寺 光彦氏(豊田市美術館館長)
藤 浩志氏(アーティスト)
西尾 貞臣氏(建築家)
コーディネーター/高橋 綾子(名古屋芸術大学准教授)
場所/豊田市美術館 講堂
時間/14:30~
---------------------------------------------------------------------------
※以下、敬称略
寺
秋元さんのお話の中で、豊田の美術館を大変褒めていただいて恐縮。
この美術館の当事者なので、もう少し認識は冷静にしているつもり。
かといって、市民のみなさんに関しては、胸を張って、誇りにしていただける
美術館にしていきたいし、現状は過程にあると思っている。
決して満足しているわけではないし、
これまでやってきたことの経過はきちんととらえて、
次につないでいく、ちょうどそういう時期にきている。
つい最近まで、美術館ができる前まで、金沢で商いをしていた。
私にとって、金沢は、思い出深い場所。
当時の場所が目に焼きついている。
毎日学校に通う、その道のそばで、もともとあった付属の小学校、
県立女学校が共同してあのスペースに入っていた。
住宅・店舗・ビルなどの一角だった。
そんなところに、今、21世紀美術館があるわけで、
どうやって現れたのかと思うけれど、
それを感じさせない往来のしやすさがある。
真ん中・円形の中心に美術館がある。
円形は、どこが入り口でどこが出口かわからない。
そういう意味で、どこからでも入れる。
何か下の方から、子どもたちがわいわい騒ぐ声が聞こえてくる・・・
そういう風景を思い出しながら、道路をみている。
抵抗感がない。
美術館のビジュアルも、考え方の哲学も、開かれていることも、
そして、現代美術館ではあっても親近感があって、交流ができることも、
21世紀美術館の特徴であり、コンセプトがそのまま実現されている。
金沢では、プラットフォームというものを企画され、いろんなことを全国に発信。
美術館と街が一体化。
そういうことを考えると、豊田はまだまだ宿題・課題が多い。
豊田は開館14年。
基本的な美術館の骨格、構想の段階から、その一員になった。
携わって約20年。
その中で、街の状況もすごく変わってきている。
88年に、市民アンケートで、行政に対する意見を収集した。
美術館というものに対し、美術館があった方がいいという人は、約20%。
それは、豊田には若い人がたくさんいて、
これから元気をもらっていく街だからということが言える。
それにしては、文化的な香りが少ない。
文化という分野の中でも、刺激的な、若者が考えているような満足感がない。
それから30年あまり。もう若い街ではなくなっている。
その当時の若者は、かなりのキャリアを積んで、今、この街をつくっている。
社会的・文化的な社会の成熟度が試される、そういう時代に入っている。
そこで、美術館が問題となる。
美術館というのは、不特定多数の方々を対象に多様の事業を展開して、
美術館らしい内容を提供することが役割。
本来的には、少なくとも、その時代だけではなく、
この時代がどうつながってきたのかを知る必要がある。
それを知るためには前の時代も知り、
今後どうつながっていくのかを考える場としての役割がある。
美術の思想的グループとか、事柄とか、
美術の表現世界の中では、非常に変化をとげて今日に至っている。
それをどう見せるのか、狙いをつけて観ていただくのか、試されるところ。
豊田市美術館は、若い人たちの要望があったというだけでなく、今を生きる美術館。
現代の作家の作品も当然とり上げていくことになる。
寺や博物館にある資料があり、そこに人がいる。
個々に過去の人、今生きている人をどう見せるか、それが美術館で、
それを見せるのは、勇気がいること。
堀内さんと斉藤さんは、戦後の早い時代から、
抽象的な世界の中で、独自の世界をつくってきた。
ふたりの展覧会を、国立の近代美術館で開催。
非常に話題を呼んだ。
そして今日の展覧会では、製造者が主体の展覧会となった。
豊田ではなかなかできないだろう、といわれていた。
私たちが例えばゴッホがみたい、印象派がみたい、
そういう希望がかなえられるようになった。
個展的ワンマンショーは、収入の得られる状況が整わないと、できない。
ピカソやマチスの作品は、60億円はする。
1点の作品でもそれだけする。
最低でも20点はほしいし、本当はもっとほしい。
40点、50点集めてつくろうとすると、準備をしないといけない。
採算を考えないといけない。
それだけのものを出しても、収入として入ってくる計算が成り立たないと、できない。
ペイできないことが多い。持ち出しが多い。
そういう展覧会をどうしても観たいという要望があれば、
大きな都市で、宣伝広告をしっかりやった方がいい。
そういうことを、美術館は、いくらやりたくてもできなかった。
豊田市美術館は、よくわからないことをやっているといわれることが多いが、
わからないものにいかに近づいてもらえるかが大事だと思っている。
せっかくの税金を、美術への親近感をもってもらうために、
今日のようなイベントがある。
私たちスタッフの願望がある。
市民と共有している財産を展示するのが美術館。
秋元
ひとくちに美術館と言っても、いろんな観点がある。
市民参画型の、アートをつかった交流館的な発想は、代4期的な発想と言われている。
第1期は、放置しておけばなくなってしまうものを、保存する役割。
日本の文化として残していくこと。
第2期は、鑑賞していただく機会をつくること。
第3期は、何を伝えているのかわからないときに、教育普及、価値づけ。
第4期は、価値付けも、市民と一緒に考えましょう、というもの。
生まれた時期、設立した時期によって、目指していたありようが違う。
豊田市美術館というのは、現代アートの重要なところを保存されている。
世界に向かっていける美術館は、地方になかった。いや、都市部にもなかった。
そんな中で、豊田市美術館は、
圧倒的にすばらしいコレクションを目指したことが感じられる。
藤
自分は、美術と街、もしくは地域とアートというものに関するフェチ。
20数年くらい前、京都で活動をはじめ、紆余曲折ありながら今にきた。
60年代生まれなので、80年代、90年代の流れに飲み込まれないように活動してきた。
ワークショップの報告。
変化していっているのがあたりまえ。
33年1世代説を、自分でとなえている。
街も、33年くらい。
豊田の風景もずいぶん変わったという話をきく。
時代の変化、33年前以上の話。
価値観が変化していく中で、誰かが街を「いい」という価値観でつくっている。
その価値観の総体が街。
いろんな方々が、それぞれの時代の中で、新しい価値観をたちあげようとしてきた。
それを、表現していった。
絵を描く人、文章を書く人、起業する人、いろんな人が行動を起こす。
33年たつと、まったく価値観が変わる。
デジタル世界をみると、ユーチューブでどんどん創作している人がいるのに、
街をみてもわからない。
それだけ、あり方が変わっている。
装置、研究者、研究機関がいると思う。
そういう意味で美術館は必要だし、展示室を持たずに、
もっと展示する場所としてふさわしい場所に、と願っている。
学校の中に展示室、病院の中に展示室・・・
それを位置づけ、論理付けるのが、美術館の役割。
次の時代に伝えていくのも美術館の役割。
駅前にも必要だけど、森の中にも必要なのが美術館。
残すかどうかは、次の世代の人たちが決めること。
自分は、ブログをかなり書いていて、動画もアップしている。
そうすると、データ容量が大変なことになる。
美術館には是非、サーバーを持ってほしい。
それによって、どんどんコレクションできるようになる。
時代が変化していく中で、大きな違和感があり、
多くの人たちが思っているある勘違いがある。
美術作品、完成作品が飾られているのが美術館、と思っていること。
完成されたものを観るというのも大切だが、創る過程が大切。
想像力と表現力を身に付けることがいかに大変か。
自分でサバイバルしていかないといけない時代。
表現力を身に付けるには、創るってことが大事。
例えばプラモデル。
創るときの期待感がいい。
創ることにはまっていく。
できてしまうと「こんなもんなの?」で、次の段階へいく。
創るという時間の豊かさがある。
さわっていく、いじっていく、創っていく、その時間が大切。
ワークショップで玉山君というすごい可能性のある人が、何か作る。
無農薬野菜が道路に生えている、なんていうフィールドを創ったらおもしろいし、
街中が健康になっていく。
お米をつくるというのもいいと思う。
パチンコのような移動型のマシーンがあって、
個人の記憶がどんどん出てくる仕組みがつくれないか。
歴史を語りながら、街をまわっていく。コミュニティーカフェがあったり。
マナーマンが電車の中の環境をつくっていく。
重い槍を持った人が思いやりを語って伝えていく。
そういう自由な発想をワークショップで出し合った。
街は、常に期待感と可能性を求めている。
ここで自己実現ができる、人がつながっていろんなことができる。
新しいチャンネルをつくるということにアートが貢献する。
アーティストがつながる、街の人がつながる、
街におもしろい遺伝子がどんどん繋がっていく。
僕は、アートとは言わない、アーツ。
常識を飛び越える技術だ。
西尾
小牧市生まれ。
小牧市は、造形大学があり、メナード美術館がある。
この2つが、全国的によく知られている。
小牧市の東部在住で、いなかの風景があるところに生まれ育った。
13年東京にいて、30過ぎて、根を生やして暮らしたいと思いながら、帰ってきた。
高蔵寺ニュータウンの隣に、県の開発住宅ができ、
産業廃棄物が投機されている風景があり、さきほど述べた有名な2つがある。
稲刈りが10月半ばに終わり、その田んぼを利用させていただき、キャンパスにし、
周辺の竹を使った作品をつくった。
2005年の愛知万博プレイベントに出品した造形作品。
今年で16年。バンブーインスタレーション。
8つの作品を、大学の先生や芸術家にお願いしてきたが、紆余曲折、
みんなでつくろうとなり、現在に。
11年目から、メナード美術館の館長など学識がある5人の審査員が決める賞があって、
モチベーションを保っている。
15年の区切りを意識してやっていきたい。
藤
仕組みをつくることで風景ができていく。
いろんな人が参加することがいい。
竹を炭にして、空気の浄化をしている、その流れもいい。
地域素材の中で、あふれているし、そこにかかわりをつくっていくことが、
なかなかなくて、いい試み。
賞に関しては、あった方がいい人もいれば、ない方がいい人もいる。
育っていくのがいいと思う。
秋元
教え諭されるといやになるけど、一緒になってやっていくといい。
今の竹の使い方だけでなく、時系列で、竹の使い方を追っていくと、
見えていくものがあるんじゃないか。
1回1回なくなったりするワークショップもある。
そういう人たちのドキュメントが積み重なってくると、厚みが出てくる。
西尾
仕事柄、足助町に行き来があったので、アートが街へ出て行く中で、
私たちがつながっていく。
ソフトに託していくビジョンは?
今の、竹のプロジェクトは、自分もやってみたい。
いろんな美術館含めての活動の実態は、継承できる部分と、
一過性で消えていってしまうはかなさもあり、
スパンの長い、連続性の高められる仕組みが必要。
まったく次元の違うことがらが、あちこちで起こっている。
それを集大成的に、アーカイブ資料に。
蓄積されたものは、あとから付け足すこともできる、という可能性を秘めている。
寺
豊田市美術館というのは、15年近くたって、
街との距離感をできなければと思っているところ。
街の音風景や、機織の音とか・・・。
豊田市美術館という展示空間を、街の中のひとつの呼吸のような、
生きているモチーフとしてつくりあげようと試みている。
映像「都市の光」という企画では、それぞれの都市が
それぞれ持っている魅力を伝える光を募集した。
豊田という街に注目した。
街から取材したものを、美術館でどう表現したかを、もっと街の人たちに伝えたかった。
あるアーティストの、あるカメラマンの目を通したものの展示だとしても、
どこかで感性を共有しているかもしれない。
日常にこまごまと。
何か構築できたらいいなと思っている。
日本とブラジルのユニット100周年。
日本からみたブラジル、ブラジルから見た日本を作り上げたのが、昨年。
保見小学校に協力をいただいて、保見の街と連動して、豊田市美術館の壁面に展示をした。
これを、もっと市民に伝えることが、課題。
ビジョンというような、壮大なテーマではないけれど、これから美術館は、
まだまだ街中との距離感を縮めていくような
プロジェクトを考えていく。
そういう機会に、市民のみなさんに協力いただいて、
市民のみなさんに近い美術館でありたい。
秋元
年中失敗していて、成功のが少ないので、失敗は語りづらいが、
やり終えないといけないので、言いだしっぺだし、失敗してもやり続ける。
誰かが知恵を出してくれる。それが、市民参画型のよさ。
どうしようもなく失敗する、ということがない。
街と人がかかわっていく広場のような美術館。
それをどうやってアーカイブ化するか、もしくはしないか。
評価の決まっている人の展覧会をやって回顧的なものをするのか、
それとも、藤さんの作品ならわからない。
コレクションをしようと思っても、現代美術は大きいので、限界がすぐくる。
また、竹のプロジェクトなどはとてもいいが、現場とのかかわりが美術。
だから、サーバーの話はとてもいいと思った。
藤
表現活動をしていく、それをどう編集していくのか、作品化していくのか、
そういうときギャラリーがあると、ギャラリーのサイズに合わせて作品化できる。
日常の素材、表現していることは作家によってさまざま。
絵を描く、コレクションする、歩く・・・どこの場にもっていくかによって、変わっていく。
その根っこの部分を、コレクションしてほしい。
それを、また作品化できると思う。
美術館のためにアーティストがあるんではない。
いかにできる人たちを、街の中を巻き込んで育てていくか。
そういう仕組みを街中に仕組んでほしい。
爆発は美術館の中ではできないけど、街中でやって、
爆発したあとのものを美術館にもってくる・・・
こういう場合に、美術館は、アートセンターになる。
いろんなつがなりを生むところがおもしろい。
ワークショップ参加者
美術と街、にも興味があって参加。
美術以外のことに興味があって、問題意識を持っていらっしゃることに気づき、
そしてまた、アートがそれにかかわっていけることに気づき、今日来てよかったと思う。
私たちがワークショップで考えたことに関して、思ったことを教えて下さい。
寺
道に、雑草だと思ったら、野菜!なんてクリエイティブでとてもおもしろい。
それから、この会のあとで、美術館のレストランで食事する、というのもおもしろい試み。
藤
情報が氾濫している中で、出会いがどうやってつながっていくのかなというところに関心がある。
一方で、建築の世界は、アナログ。ものごと、多くはアナログ。
人同士もアナログでつながるのが一番。
技術は進歩しても、根っこのところでは、やはりアナログ。
秋元
藤さんのみなさんへのきっかけづくりはおもしろかった。
刺激を受けました。
才能ある人ですね、藤さんは。
まとめ方も含め。
藤
これは、みんなそれぞれ、企画してもらったんですが、わずか3分です。
全然違うふうに発表されたものもありましたが、まとめさせていただきました。
自分が言ったことと違うと感じた方もいると思いますが、
そのズレが大事で、そこからいろいろ生まれ、活動としてつながっていく。
20年後、30年後、違うものになっている。つながっていく。
それがおもしろい。
「いじる」。身体を使う、手を使う。
美術館を、街の人がもっといじっていいんじゃないか。
もっとオープンにしたらいいと思う。逆がまだ多い。
いろんな人が自由にいじって、どんどんいい方向に変わっていく、
そういういい社会であってほしいと思う。
座談会「美術館から街へ開くアート」 レポートです。
講師4人を迎え、とても興味深い、また、街の将来が楽しみになるような
お話をしていただきました。
市民として、美術館から街へ開くものに対する参画意識が生まれ育っていくような
貴重な時間を、ご参加のみなさんとともに過ごしました。
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講師/秋元 雄史氏(金沢21世紀美術館館長)
寺 光彦氏(豊田市美術館館長)
藤 浩志氏(アーティスト)
西尾 貞臣氏(建築家)
コーディネーター/高橋 綾子(名古屋芸術大学准教授)
場所/豊田市美術館 講堂
時間/14:30~
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※以下、敬称略
寺
秋元さんのお話の中で、豊田の美術館を大変褒めていただいて恐縮。
この美術館の当事者なので、もう少し認識は冷静にしているつもり。
かといって、市民のみなさんに関しては、胸を張って、誇りにしていただける
美術館にしていきたいし、現状は過程にあると思っている。
決して満足しているわけではないし、
これまでやってきたことの経過はきちんととらえて、
次につないでいく、ちょうどそういう時期にきている。
つい最近まで、美術館ができる前まで、金沢で商いをしていた。
私にとって、金沢は、思い出深い場所。
当時の場所が目に焼きついている。
毎日学校に通う、その道のそばで、もともとあった付属の小学校、
県立女学校が共同してあのスペースに入っていた。
住宅・店舗・ビルなどの一角だった。
そんなところに、今、21世紀美術館があるわけで、
どうやって現れたのかと思うけれど、
それを感じさせない往来のしやすさがある。
真ん中・円形の中心に美術館がある。
円形は、どこが入り口でどこが出口かわからない。
そういう意味で、どこからでも入れる。
何か下の方から、子どもたちがわいわい騒ぐ声が聞こえてくる・・・
そういう風景を思い出しながら、道路をみている。
抵抗感がない。
美術館のビジュアルも、考え方の哲学も、開かれていることも、
そして、現代美術館ではあっても親近感があって、交流ができることも、
21世紀美術館の特徴であり、コンセプトがそのまま実現されている。
金沢では、プラットフォームというものを企画され、いろんなことを全国に発信。
美術館と街が一体化。
そういうことを考えると、豊田はまだまだ宿題・課題が多い。
豊田は開館14年。
基本的な美術館の骨格、構想の段階から、その一員になった。
携わって約20年。
その中で、街の状況もすごく変わってきている。
88年に、市民アンケートで、行政に対する意見を収集した。
美術館というものに対し、美術館があった方がいいという人は、約20%。
それは、豊田には若い人がたくさんいて、
これから元気をもらっていく街だからということが言える。
それにしては、文化的な香りが少ない。
文化という分野の中でも、刺激的な、若者が考えているような満足感がない。
それから30年あまり。もう若い街ではなくなっている。
その当時の若者は、かなりのキャリアを積んで、今、この街をつくっている。
社会的・文化的な社会の成熟度が試される、そういう時代に入っている。
そこで、美術館が問題となる。
美術館というのは、不特定多数の方々を対象に多様の事業を展開して、
美術館らしい内容を提供することが役割。
本来的には、少なくとも、その時代だけではなく、
この時代がどうつながってきたのかを知る必要がある。
それを知るためには前の時代も知り、
今後どうつながっていくのかを考える場としての役割がある。
美術の思想的グループとか、事柄とか、
美術の表現世界の中では、非常に変化をとげて今日に至っている。
それをどう見せるのか、狙いをつけて観ていただくのか、試されるところ。
豊田市美術館は、若い人たちの要望があったというだけでなく、今を生きる美術館。
現代の作家の作品も当然とり上げていくことになる。
寺や博物館にある資料があり、そこに人がいる。
個々に過去の人、今生きている人をどう見せるか、それが美術館で、
それを見せるのは、勇気がいること。
堀内さんと斉藤さんは、戦後の早い時代から、
抽象的な世界の中で、独自の世界をつくってきた。
ふたりの展覧会を、国立の近代美術館で開催。
非常に話題を呼んだ。
そして今日の展覧会では、製造者が主体の展覧会となった。
豊田ではなかなかできないだろう、といわれていた。
私たちが例えばゴッホがみたい、印象派がみたい、
そういう希望がかなえられるようになった。
個展的ワンマンショーは、収入の得られる状況が整わないと、できない。
ピカソやマチスの作品は、60億円はする。
1点の作品でもそれだけする。
最低でも20点はほしいし、本当はもっとほしい。
40点、50点集めてつくろうとすると、準備をしないといけない。
採算を考えないといけない。
それだけのものを出しても、収入として入ってくる計算が成り立たないと、できない。
ペイできないことが多い。持ち出しが多い。
そういう展覧会をどうしても観たいという要望があれば、
大きな都市で、宣伝広告をしっかりやった方がいい。
そういうことを、美術館は、いくらやりたくてもできなかった。
豊田市美術館は、よくわからないことをやっているといわれることが多いが、
わからないものにいかに近づいてもらえるかが大事だと思っている。
せっかくの税金を、美術への親近感をもってもらうために、
今日のようなイベントがある。
私たちスタッフの願望がある。
市民と共有している財産を展示するのが美術館。
秋元
ひとくちに美術館と言っても、いろんな観点がある。
市民参画型の、アートをつかった交流館的な発想は、代4期的な発想と言われている。
第1期は、放置しておけばなくなってしまうものを、保存する役割。
日本の文化として残していくこと。
第2期は、鑑賞していただく機会をつくること。
第3期は、何を伝えているのかわからないときに、教育普及、価値づけ。
第4期は、価値付けも、市民と一緒に考えましょう、というもの。
生まれた時期、設立した時期によって、目指していたありようが違う。
豊田市美術館というのは、現代アートの重要なところを保存されている。
世界に向かっていける美術館は、地方になかった。いや、都市部にもなかった。
そんな中で、豊田市美術館は、
圧倒的にすばらしいコレクションを目指したことが感じられる。
藤
自分は、美術と街、もしくは地域とアートというものに関するフェチ。
20数年くらい前、京都で活動をはじめ、紆余曲折ありながら今にきた。
60年代生まれなので、80年代、90年代の流れに飲み込まれないように活動してきた。
ワークショップの報告。
変化していっているのがあたりまえ。
33年1世代説を、自分でとなえている。
街も、33年くらい。
豊田の風景もずいぶん変わったという話をきく。
時代の変化、33年前以上の話。
価値観が変化していく中で、誰かが街を「いい」という価値観でつくっている。
その価値観の総体が街。
いろんな方々が、それぞれの時代の中で、新しい価値観をたちあげようとしてきた。
それを、表現していった。
絵を描く人、文章を書く人、起業する人、いろんな人が行動を起こす。
33年たつと、まったく価値観が変わる。
デジタル世界をみると、ユーチューブでどんどん創作している人がいるのに、
街をみてもわからない。
それだけ、あり方が変わっている。
装置、研究者、研究機関がいると思う。
そういう意味で美術館は必要だし、展示室を持たずに、
もっと展示する場所としてふさわしい場所に、と願っている。
学校の中に展示室、病院の中に展示室・・・
それを位置づけ、論理付けるのが、美術館の役割。
次の時代に伝えていくのも美術館の役割。
駅前にも必要だけど、森の中にも必要なのが美術館。
残すかどうかは、次の世代の人たちが決めること。
自分は、ブログをかなり書いていて、動画もアップしている。
そうすると、データ容量が大変なことになる。
美術館には是非、サーバーを持ってほしい。
それによって、どんどんコレクションできるようになる。
時代が変化していく中で、大きな違和感があり、
多くの人たちが思っているある勘違いがある。
美術作品、完成作品が飾られているのが美術館、と思っていること。
完成されたものを観るというのも大切だが、創る過程が大切。
想像力と表現力を身に付けることがいかに大変か。
自分でサバイバルしていかないといけない時代。
表現力を身に付けるには、創るってことが大事。
例えばプラモデル。
創るときの期待感がいい。
創ることにはまっていく。
できてしまうと「こんなもんなの?」で、次の段階へいく。
創るという時間の豊かさがある。
さわっていく、いじっていく、創っていく、その時間が大切。
ワークショップで玉山君というすごい可能性のある人が、何か作る。
無農薬野菜が道路に生えている、なんていうフィールドを創ったらおもしろいし、
街中が健康になっていく。
お米をつくるというのもいいと思う。
パチンコのような移動型のマシーンがあって、
個人の記憶がどんどん出てくる仕組みがつくれないか。
歴史を語りながら、街をまわっていく。コミュニティーカフェがあったり。
マナーマンが電車の中の環境をつくっていく。
重い槍を持った人が思いやりを語って伝えていく。
そういう自由な発想をワークショップで出し合った。
街は、常に期待感と可能性を求めている。
ここで自己実現ができる、人がつながっていろんなことができる。
新しいチャンネルをつくるということにアートが貢献する。
アーティストがつながる、街の人がつながる、
街におもしろい遺伝子がどんどん繋がっていく。
僕は、アートとは言わない、アーツ。
常識を飛び越える技術だ。
西尾
小牧市生まれ。
小牧市は、造形大学があり、メナード美術館がある。
この2つが、全国的によく知られている。
小牧市の東部在住で、いなかの風景があるところに生まれ育った。
13年東京にいて、30過ぎて、根を生やして暮らしたいと思いながら、帰ってきた。
高蔵寺ニュータウンの隣に、県の開発住宅ができ、
産業廃棄物が投機されている風景があり、さきほど述べた有名な2つがある。
稲刈りが10月半ばに終わり、その田んぼを利用させていただき、キャンパスにし、
周辺の竹を使った作品をつくった。
2005年の愛知万博プレイベントに出品した造形作品。
今年で16年。バンブーインスタレーション。
8つの作品を、大学の先生や芸術家にお願いしてきたが、紆余曲折、
みんなでつくろうとなり、現在に。
11年目から、メナード美術館の館長など学識がある5人の審査員が決める賞があって、
モチベーションを保っている。
15年の区切りを意識してやっていきたい。
藤
仕組みをつくることで風景ができていく。
いろんな人が参加することがいい。
竹を炭にして、空気の浄化をしている、その流れもいい。
地域素材の中で、あふれているし、そこにかかわりをつくっていくことが、
なかなかなくて、いい試み。
賞に関しては、あった方がいい人もいれば、ない方がいい人もいる。
育っていくのがいいと思う。
秋元
教え諭されるといやになるけど、一緒になってやっていくといい。
今の竹の使い方だけでなく、時系列で、竹の使い方を追っていくと、
見えていくものがあるんじゃないか。
1回1回なくなったりするワークショップもある。
そういう人たちのドキュメントが積み重なってくると、厚みが出てくる。
西尾
仕事柄、足助町に行き来があったので、アートが街へ出て行く中で、
私たちがつながっていく。
ソフトに託していくビジョンは?
今の、竹のプロジェクトは、自分もやってみたい。
いろんな美術館含めての活動の実態は、継承できる部分と、
一過性で消えていってしまうはかなさもあり、
スパンの長い、連続性の高められる仕組みが必要。
まったく次元の違うことがらが、あちこちで起こっている。
それを集大成的に、アーカイブ資料に。
蓄積されたものは、あとから付け足すこともできる、という可能性を秘めている。
寺
豊田市美術館というのは、15年近くたって、
街との距離感をできなければと思っているところ。
街の音風景や、機織の音とか・・・。
豊田市美術館という展示空間を、街の中のひとつの呼吸のような、
生きているモチーフとしてつくりあげようと試みている。
映像「都市の光」という企画では、それぞれの都市が
それぞれ持っている魅力を伝える光を募集した。
豊田という街に注目した。
街から取材したものを、美術館でどう表現したかを、もっと街の人たちに伝えたかった。
あるアーティストの、あるカメラマンの目を通したものの展示だとしても、
どこかで感性を共有しているかもしれない。
日常にこまごまと。
何か構築できたらいいなと思っている。
日本とブラジルのユニット100周年。
日本からみたブラジル、ブラジルから見た日本を作り上げたのが、昨年。
保見小学校に協力をいただいて、保見の街と連動して、豊田市美術館の壁面に展示をした。
これを、もっと市民に伝えることが、課題。
ビジョンというような、壮大なテーマではないけれど、これから美術館は、
まだまだ街中との距離感を縮めていくような
プロジェクトを考えていく。
そういう機会に、市民のみなさんに協力いただいて、
市民のみなさんに近い美術館でありたい。
秋元
年中失敗していて、成功のが少ないので、失敗は語りづらいが、
やり終えないといけないので、言いだしっぺだし、失敗してもやり続ける。
誰かが知恵を出してくれる。それが、市民参画型のよさ。
どうしようもなく失敗する、ということがない。
街と人がかかわっていく広場のような美術館。
それをどうやってアーカイブ化するか、もしくはしないか。
評価の決まっている人の展覧会をやって回顧的なものをするのか、
それとも、藤さんの作品ならわからない。
コレクションをしようと思っても、現代美術は大きいので、限界がすぐくる。
また、竹のプロジェクトなどはとてもいいが、現場とのかかわりが美術。
だから、サーバーの話はとてもいいと思った。
藤
表現活動をしていく、それをどう編集していくのか、作品化していくのか、
そういうときギャラリーがあると、ギャラリーのサイズに合わせて作品化できる。
日常の素材、表現していることは作家によってさまざま。
絵を描く、コレクションする、歩く・・・どこの場にもっていくかによって、変わっていく。
その根っこの部分を、コレクションしてほしい。
それを、また作品化できると思う。
美術館のためにアーティストがあるんではない。
いかにできる人たちを、街の中を巻き込んで育てていくか。
そういう仕組みを街中に仕組んでほしい。
爆発は美術館の中ではできないけど、街中でやって、
爆発したあとのものを美術館にもってくる・・・
こういう場合に、美術館は、アートセンターになる。
いろんなつがなりを生むところがおもしろい。
ワークショップ参加者
美術と街、にも興味があって参加。
美術以外のことに興味があって、問題意識を持っていらっしゃることに気づき、
そしてまた、アートがそれにかかわっていけることに気づき、今日来てよかったと思う。
私たちがワークショップで考えたことに関して、思ったことを教えて下さい。
寺
道に、雑草だと思ったら、野菜!なんてクリエイティブでとてもおもしろい。
それから、この会のあとで、美術館のレストランで食事する、というのもおもしろい試み。
藤
情報が氾濫している中で、出会いがどうやってつながっていくのかなというところに関心がある。
一方で、建築の世界は、アナログ。ものごと、多くはアナログ。
人同士もアナログでつながるのが一番。
技術は進歩しても、根っこのところでは、やはりアナログ。
秋元
藤さんのみなさんへのきっかけづくりはおもしろかった。
刺激を受けました。
才能ある人ですね、藤さんは。
まとめ方も含め。
藤
これは、みんなそれぞれ、企画してもらったんですが、わずか3分です。
全然違うふうに発表されたものもありましたが、まとめさせていただきました。
自分が言ったことと違うと感じた方もいると思いますが、
そのズレが大事で、そこからいろいろ生まれ、活動としてつながっていく。
20年後、30年後、違うものになっている。つながっていく。
それがおもしろい。
「いじる」。身体を使う、手を使う。
美術館を、街の人がもっといじっていいんじゃないか。
もっとオープンにしたらいいと思う。逆がまだ多い。
いろんな人が自由にいじって、どんどんいい方向に変わっていく、
そういういい社会であってほしいと思う。
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